以前、ファミリー支援のコラム『リベラルアーツ・セラピーとオーナーコーチング』で、ファミリービジネス(FB)が北極星のような「自我理想」を持つことの大切さについて述べました。
私たちは、FBをセラピーで支援する際に、「リノベーション(renovation)」を自我理想として、たびたび提案させていただいています。“renovation(リノベーション)” は、“re(再び)” + “innovation(イノベーション)” で「刷新」と訳されます。それは、「伝統 / 歴史」+「革新」です。
まず、イノベーションとは、伝統、歴史、風習を壊し、革新することです。古民家を「解体」し、新しい構築物を「創造」することがイノベーション。ちなみにリフォームは、古民家の「原状回復」です。
一方、リノベーションは、「古いものを『徹底的に』調べて新しい事柄を知る」一緒の温故知新です。たとえば、古民家「再生 / 刷新」です。イノベーションとは異なります。
私たちは、FBの永続のためには、イノベーションでも、リフォームでもない、リノベーションから始めるといいのではないか、とよく提案します。
次に論を深めるために、歴史的にたびたび対立してきた「保守主義」と「リベラリズム」から考えます。
長寿企業は、基本的に、保守主義的です。が、FBの生き残りやサステナビリティには、保守主義に敵対するリベラリズムも必要です。なぜなら「スクラップ・アンド・ビルド(古いものを破壊して、新しいものを創造する)」の考え方を基本とするリベラリズムは、イノベーションを促進するからです。繁栄するFBのサステナビリティのためには、保守主義とリベラリズムとの「緊張関係」を維持し、両者を肯定し続ける必要があると考えます。
保守主義とリベラリズムには、大別して2つの相違点があります。違いの1点目は、保守(保存)主義(conservatism)が「伝統」「歴史」「風習」を重んじるのに対し、リベラリズムはその3つを否定する「理性」をベースとしているところです。2点目は、保守主義が「We(私たち)」を志向する一方で、リベラリズムが「私(I)」あるいは「個人」に依拠しているところです。
「リベラリズム」は、左翼思想的に考えられる風潮があります。しかし、違います。たとえば「自由民主党」の「自由」は、英語で “liberal(リベラル)”、また「新自由主義」は “neo-liberalism(ネオ・リベラリズム)” です。自民党や新自由主義を、左翼とみなす人はいないでしょう。
「自由主義」と訳される “liberalism(リベラリズム)” は、保守主義を、古い時代遅れの伝統、歴史、風習からくる偏見に満ちている、と批判します。リベラリズムは、フランス革命に始まりましたが、それは「理性(reason)」に基づいた自由主義社会の実現が可能、と説きました。リベラリズムは、それまでの伝統、歴史、風習とそれらにまつわる偏見を「破壊」し、理性をベースにした社会の「創造」を目指したのです。リベラリズムの背景にあるのは、古いものを壊して、新しいものを創る「スクラップ・アンド・ビルド」の考え方です。
リベラリズムの依拠するのは、「個人 / 私(I)」の理性です。『理性』によって、偏見を除去できると考えます。リベラリズムは、それまでの伝統、歴史、風習からなる家族、ビジネス、地域、社会を否定します。代わりに「理性」による革新(イノベーション)を志します。
一方、保守主義は、自分たちの偏見を認めます。が、同時に、理性を信奉し切ることをしません。リベラリズムに伴うスクラップ(破壊)を良しとせず、またフランス革命以降のヨーロッパ社会における「理性の暴挙や傲慢さ」に目をつぶることもしません。保守主義は、社会や人間の暮らしを長期間にわたって永続させてきた伝統、歴史、風習の成果を評価します。それらに偏見はたくさんありますが、まずは伝統、歴史、風習の中で生活し、スクラップ(破壊)ではなく、少しずつの改善を試みます。長期的視点に立って、穏やかでゆっくりの変化を良しとします。
保守主義には、「自分(個人)」への『疑い』が、その根本にあります。「生まれて数十年(百年以内)しか生きていない自分(個人)の見解を、そんなに信頼できるのか」という『疑念』がベースにあるのです。「私(I)」は、基本的に「無知」で「無意識的」であり、自分の理性も「大したものではない」という思いがあります。そこで、「私(I)の理性」にでなく、私と、私を「超えた」伝統、歴史、風習、永続性(サステナビリティ)とから成る「私たち(We)」を、あるいは私と、亡くなった祖先たちとから成る「ワン・チーム」を、重んじます。
保守主義には、「私(I)」という「個人」の『限界の受容』が求められます。限界の受容には、成熟や謙虚さが必要です。
FBは基本的に保守主義的です。しかし、現代のFBは保守主義だけを安易に信奉できません。なぜなら、現代においては、穏やかなゆっくりとした変化や改善だけでやっていけるFBは皆無か、あってもごくわずかに過ぎないからです。イノベーションが不可欠です。また、ジェンダーやLGBTQ+に向けた「革新(リベラル)的」視座を受け入れないFBは、働き手の減少や少子化の進む中で、今後、衰退していくからです。ジェンダーやLGBTQ+の観点を取り入れるには、「理性」的に考え、各個人を尊ぶ「人権意識」を磨く必要があります。
が、理性はあくまで「個人(I)」を中心としたものです。それを妄信すると、「私たち(We)」を「私(I)」へとスクラップ(破壊)するだけになりかねません。FBは、まとまりのない単なる「私(I)」の寄せ集めになってしまいかねません。そうではなく、FBを永続させるためには、伝統、歴史、風習に学ぶ保守主義のWe 的発想が必要です。
そこで私たちは、FBを、現代の理性と保守主義との「緊張関係」から生まれる「リノベーション」を「自我理想」としてはどうか、と思っています。そのために、理性の納得のいく保守主義を、たとえば日本の歴史に加えて、世界中の保守主義の歴史から紐解いて熟考してはどうだろうか、と考えます。保守主義は、基本的に自文化 / 自民族を尊びます。しかし、保守主義を地球規模にまで拡大し、そこに、各FBが腑に落ちるサスティナブルな自我理想を見い出せないかトライしてみてはどうか、と思っています。なぜなら、私たちは、みな地球人 / 地球民族だからです。世界の歴史を参照しないのは、もったいない。
環境破壊が進み、地球が今までにないくらい危機的状況になっている現在、FBの永続性を考えるには、たとえば世界中の先住民によるエコロジカルな伝統的知に学んでみるのはどうでしょうか?サステナビリティを考えるうえで、エコロジーくらい参考になるものはありません。ここで述べている保守主義は「地球規模の保守主義」です。グローバルな視点を持つと、世界各地に、理性の納得する保守主義を発見できるかもしれません。その時、保守主義側も、理性や人権意識を受け入れる度量や許容力を鍛えていなければなりません。
世界中の長寿企業の大半は日本にあります。理由の1つは、永続性に関する日本の長寿企業の自我理想が優れていて機能してきたからです。失われた30年と言われる最大の理由は、日本の企業にイノベーションを起こす力がなくなったためだ、といわれます。その真否について論じる能力を筆者は持っていません。しかし、FBは保守主義とリベラリズムの緊張関係をキープし、そこから生き残りとサステナビリティを志すことが、今後ますます求められるでしょう。その鍵の1つは、今までの伝統、歴史、風習を徹底的に見直し、そこにイノベーションを加えること、すなわち「リノベーション(renovation、保守 + 革新)」だと考えます。
私たちは、FBのセラピーを行うとき、自我理想としてリノベーションを提案し、応援させていただいています。
次回は、リノベーションより革新的な「ディコンストラクション(deconstruction、脱構築)」について、述べる予定です。
この記事の内容は、日本ファミリービジネスアドバイザー協会に寄せた コラム「ファミリーへの支援」の一部を改変したものです。