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ファミリービジネスは「牢屋」?

私たちは、ファミリービジネスを「牢屋(prison)」=「蛹(さなぎ)」と仮定することを勧めています。

牢屋、と聞いてあなたはビックリしますか?

不快になりますか?

いや「私のファミリービジネス経験にピッタリだ」と思いますか?

「ファミリービジネスは牢屋はでありませんか?」と訊くと、これまで、たくさんのオーナーおよびファミリーメンバーが笑いとともに膝を叩いて賛同されました。

牢獄に27年間も監禁され、その経験が自分の人格、思索、社会性の陶冶に役立ったと述べたのが元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラです。

『夜と霧』の著者で人間性&実存的心理学者のビクトール・フランクルは、自身がナチスによって強制収容所に幽閉されたときに、あらゆるものは奪われても心の自由と主体的選択を失うことは決してない、という強烈な体験をします。

また、ガス室に送られる日の来ることを待たされる牢屋の中で、人間は金のためでも快楽のためでもなく、主体的な意味のために生きる。さらに、魂の成熟(the maturity of the human soul)こそ人生の目的だ、というインスピレーションに打たれます。

サイコシンセシスという心理学の創始者で、イタリア人精神科医のロベルト・アサジオリも、時の軍事政権に反対したことで牢屋に監禁されます。

しかし、それが彼のパーソナリティと思索を深め、彼の心理学を良質なものにした、と語っています。

牢屋への監禁は、多くの人の精神を破壊します。

が、一部の人は、それをプラス体験に役立てます。

深層心理学的には、マンデラ、フランクル、アサジオリは、「牢屋」を青虫が蝶へ変容する「さなぎ」として役立てたと考えられます。

脱皮しないヘビは死ぬ、といいます。

上の3人は、脱皮し、心&精神を陶冶し変容させ、磨いたのです。

ユング心理学の精神科医グッゲンビュール・クレイグは、「『結婚』は、結婚する2人が神の前で契約し、お互いに縛り合うことで魂の救済を目指すものだ」と述べます。

彼は「死が2人を分かつまで」一緒に居る約束の厳守を勧めます。

一方、恋愛(ロマンチック・ラブ)については、そうではないといいます。

そこには、神の前での、また法的な、契約がないからです。

ですので、2人は別れやすい状況にいます。

クレイグは、快楽、明るさ、うっとり感、イケイケ・ノリノリの興奮だけを求めるのなら、わざわざ好んで結婚などせずに、恋愛に留まっていた方が楽しく効率的でいいと述べます。

なぜなら、どの結婚にも困難な「地獄」はつきもので、それを2人で真摯にやり通すのは、並大抵のことではないからです。

2人に救済や変容や成熟といった「目的」がないのなら、苦悩やわずらわしさやノイズの絶えない結婚は避けた方がいい、といいます。

クレイグによると、非合理さでいっぱいの結婚を質の良いものするには、「縛り」(手かせ足かせ)=「牢屋」が欠かせません。

評論家で劇作家の福田恒存は、かつて、縛りの無い自由は精神を破壊すると書きました。

「縛り」を課すことで、心や魂の解放や自由、精神的「青虫」の「蝶」への変容を促すのが深層心理学的セラピーです。

心や魂の解放や自由、救済や赦し、蝶への変容には、ゲーテが『ファウスト』で描いたようにいったん地獄へ落ち、地獄を経て帰還する必要があります。

結婚では、その過程を何度も経験しなければなりません。

深層心理学的セラピーは、縛りの中でクライエントの心や精神の支援をします。

たとえば、精神分析は1週間に4回以上の、ユング心理学は1回以上のセラピーを受けること、という縛り(契約)をクライエントに課します。

そうした拘束・監禁・牢屋状態がなければ、(頑なで凝り固まった、あるいは脆弱な)精神に変容・解放・脱皮は望めないと考えるためです。

精神的青虫が蝶に変質するのは、簡単でもインスタントでもないためです

これには時間、エネルギー、料金の多大な投資が必要です。

欧米では、縛りを必要とする本格的な個人セラピー、夫婦療法、家族療法にコミットしているファミリービジネス経営者やエグゼクティブが多数います。

ビジネスや金銭面での成功と共に、精神、心、魂の解放、自由や救い、赦し、変容(質的変化)を本気で希求するためです。

そのために『人工的な』拘束を、自らに課すのです。

人工的拘束は、ビジネス用語の「ガバナンス」に当たるでしょう。

この時セラピストには、拘束、監禁、牢屋状態によってクライエントの心や精神が、単に破壊されるだけにならないための専門的配慮が欠かせません。

上手なマネージメント(management)が求められます。
(注 ”management”の語源的意味は「馬のしつけ」「馬の手綱さばき」「巧みさ」です)

ファミリービジネスは一種の牢屋です。特に、後継者にとってはそうです。

ある超富裕層の跡継ぎに言われたことがあります。

「いいな、あなたは。背負っていくファミリービジネスがなくって、自由で。

6代目の私は、生まれる前からファミリービジネスの継承を決められ監禁されてきた」と。

そうした後継者に伝えるのが、ファミリービジネスの拘束・縛り・牢屋を「さなぎ」としてとらえ直す新たな視座です。この時にまた、その人の(将来の)子どもたちの立場を想像してもらいます。

子どもたちからすると、両親が「牢屋(=結婚)」の中で逃げずに腹を据えて向き合っている姿、ごまかさずに誠実なコミュニケーションを積み重ねている姿は大変うれしく、夢や希望を感じさせます。

その過程で、両親が言い争いやケンカで醜さや苦悩を表したとしても、きれいごとでお茶を濁す親よりもずっと可能性を抱かせます。

一方、拘束(=結婚、夫婦関係)が苦しいからと夫婦で向き合わずに、不倫、アルコール、ギャンブルなどで「縛り」=「さなぎ」(=「ガバナンス」)に穴をあけてガス抜きをしてごまかし逃げる親、そしてそれを見て見ぬふりをする家族には絶望を感じることでしょう。

「穴」のあいた両親の関係に質的変化は起きず、「心の流産」が繰り返されることになります。穴から垂れ流された親の精神的堕胎物の被害を受けるのが、子どもたち(次世代、次々世代)です。

子どもたちに、そんな思いを決してさせてはいけない。

夫婦関係や家族関係がそんな負の状態では、ファミリーとビジネスに金品、贅沢品、高級品で表面的な金メッキを被せることはできても、心の豊かさ、幸福、愛情はかないません。

それでは、子どもたちは後を継ぎたくないでしょう。

それを防ぐために、結婚だけでなく、ファミリービジネスを「牢屋」=「さなぎ」と仮定してはいかがでしょうか?

精神科医グッゲンビュール・クレイグは、それ(「結婚のガバナンス」)が嫌なら恋愛に留まり、快楽、明るさ、うっとり感、興奮を楽しむといい、とアドバイスしました。

夫婦や家族を良質なものにしたいのであれば、牢屋に自分が幽閉されるのを主体的に受け入れてはどうでしょうか?

「牢屋」=「さなぎ」を大切にできる ~たとえば、ファミリーとビジネスの両面にしっかりとコミットしていく~ とファミリービジネスの潜在可能性が開花し、蝶が舞います。

セラピストの役目の一つは、咲かなくなった木にも花を咲かせるお爺さん的なものです。

それには、ファミリービジネスにおける拘束・縛り・牢屋を、可能性を産む「さなぎ」としてとらえ返すための、また、さなぎ(自体)を生産的&クリエイティブなものにするための支援をすること、さらに、さなぎに穴が開かないように、ファミリービジネスにガバナンスとマネージメント(手綱さばき)の能力が身に着くようにサポートすることです。

この記事の内容は、日本ファミリービジネスアドバイザー協会に寄せた コラム「ファミリーへの支援」の一部を改変したものです。